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2010年09月07日

真理の生成過程で、意識が苦労して歩む長い道のりとは

越谷ゴルフです。

もし自分が、
理にかなわない間違ったスイングを
身につけていたとしたら、

正しいゴルフスイングに矯正される時
本来ならば戸惑いや強烈な違和感を
感じるものである。

裏返せば、
違和感を感じない練習というのは、
本来ありえない、ということでもあるのだが、

もし、理にかなわない間違ったスイングを
体が覚えこんでいるにもかかわらず、
何も違和感を感じない練習を行っている、
としたら、

その状態を、
「下手を固めている」
というのだろう。

一般的には
違和感のない、気持ちよくナイスショットが続く練習こそ
いい練習であるように誤解されていることではあるが、
少し考えてみると、その考え自体が既に真理とは程遠い、
ということに気付くだろう。

そう。

まずは練習に対する考え方、
認識をあらためる必要があるゴルファーが一般的であり、
非常に多いということでもある。

一般的なゴルファーにおいては、
練習すれば上手くなるというものではない。
練習にたいする認識をまず換える必要がある。

ということでもある。

実は、この段階までは、まだ、
苦労しているようでも実はまだ、
その苦労してすすんでいくであろう道のりの、
スタートラインにすら立っていないのである。

・・・

体が理にかなわないスイングを覚えているにも拘らず、
違和感を感じないとしたら、

その状態における感覚が、
体と一致しているということなのだから、

つまりは感覚が(あるいは頭の中のスイングイメージが)
そもそも理にかなっていないということで、

それは、その人においては一見真理であるかもしれないが、
普遍的な真理とは実は程遠いものである。

それがたまたま他人から知識を得たり、
たまたま調子が悪くて体に力が入らず
普段と違うスイングになってしまったときなどに、
「これは!?」と気付くものがあったとしたら、

その一見真理と思えていたものが実は、
本当の真理とは違うものであることを認識する。

一般的には、練習に対する認識が変わることよりも
ここがはじまりである。

偶然の第一歩というわけなのだが・・・

ここから、意識が苦労して歩む長い道のりが始まり、
真理の生成過程の第一歩を踏み出す経験をする。

その隠されていた真実は、
何かを足した(例えば足がもう一本生えて安定した)
といった外付けのものではなく、

既に自分の内面に潜在的にあった、
自分がそれまで気付かなかった方法とか感覚である。

潜在的に自分の中にある意識を引き出すことが、
つまりは、真理の生成過程ということなのだが、

おさらいすると、
自分ではないと思っていたもの(違和感を感じていたもの)が
実は自分であることに認識が変わっていく過程、

相反する矛盾を克服し統一していく過程を、
真理を生成する過程という、

何に意識が苦労するのかというと、
つまりは矛盾や違和感、ということである。

従来の自分の方法や考え方の枠を超えて、
新しい方法に挑戦し、認識を変えていかなければならない。

しかし、本来人間には防衛本能というものがあり、
今までと違うものに触れたときは、まず自分の身を守るために
そこに壁をつくる(この壁は目に見えない)のである。

練習し、
本来の自分の潜在的なものを引き出し
自分のものにするためには、

防衛本能により自分の中につくりだされた壁、
この自分でありながら自分と向き合う状態

この精神現象を、長い道のりというのである。


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越谷市大間野町1-155
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2010年08月31日

現実のゴルフの実体を、真理に昇華させる過程

越谷ゴルフです。

ゴルフの練習をしている時、
特にスイングづくりをしている過程を仰々しく述べるならば、
現実のゴルフの実体を、真理に昇華させる過程
というわけだが、

例えば自分の頭の中に、
イメージとしてスイングの理想があるとする。

その理想はもしかして
悪く言えば単なる思い付き、かもしれないし、
よく言えば、知的直感、かもしれないし、
あるいは、どこからか仕入れてきた、
他人からの受け売りのイメージ、
かもしれない。

しかし、この段階では、
それが仮に結果として真理であったとしても、
真理と呼ぶにはふさわしくないことは想像に難くない。

「結果として真理」
という表現をここでは使ったが、

真理とは、統一された唯一の絶対存在であり、
主体である現実のゴルフと理想である真実のゴルフは
たいていの場合、出発点では互いに相反するもので、
理想と現実にはギャップがあるものなのだが、

真理に昇華されるということは、
この互いに相反する分裂された状態のものが、
統一されるということである。

この過程をここでは、
螺旋階段を登っていくと、
一周したときに同じ場所には立っているようにおもえるが、
実は一段上の段階に立っている、と表現しておく。

・・・

そうした現実のゴルフの実体を、真理に昇華させる過程を経て、
現実として真理を手にした者だけがその意味がわかる、
もう一つの言葉がある。

それは、

「結果として真理」ということはつまり
「結果として現実」

あるいは他の表現をすることもできるだろう。

「形は本質」あるいは「本質は形」

というニュアンスも、
この過程を経たものであれば納得しうる事。

真実は実は単純なものかもしれない。

結果として。。。


未だ相反するものが統一される過程が踏まれていないものは、
たとえそれが文の形で表すと真実と同じであったとしても、
それを真実ということはできない。
いうなれば、真実として扱うのではなく、
一般論として、処するべきものなのだろう。

その落し穴に嵌らないためにあくまで押さえておきたい点は、

「主体」としての現実のゴルフというポジションを、
常に忘れないこと。

この自覚こそが、実は真実への過程なのだろう。

それはちょうど、
生まれたばかりの胎児はまだ人間としての自覚はないが、
理性ある大人になったときは人間としての自覚がある。
といったようなものなのだろう。

理性ある大人になるまでには、
さまざまな葛藤があるものである。


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2010年08月29日

ゴルフの真実について語られたものを読む場合の注意点

越谷ゴルフです。

各々がゴルフにおける真実(についての私観?)を
語っているのを読むにあたり、
その記述の主語が、「ゴルフとは・・・」となっている場合、
特に気をつけたいことがある。

その記述の内容の当否は、
記述の体系全体をもって判断するしかないが、

真理を巡る一切に関する重要な点は、
真理を「実体」としてではなく、
「主体」としてもとらえ、表現されている場合には、
解釈するにあたり特に注意が必要に思われる。

もう少し噛み砕いて説明すると、
真理を語るにあたり、知らず知らずのうちに、
真理=神 の認識が論者のうちに高まり、
内容がすりかわっていくこともあるということ。

科学的には真理とは絶対的なものであり、
宗教的には神が絶対的なものであるのだが、
宗教において神が語られるとき、
神とは、実体ではなく、主体であることは、
例えばキリスト教における聖書の記述をみても
それは明白であり、

熱心な論者ほど、
その情熱の源が宗教的なものである可能性も高い、
ことも十分ありうるからである。

その論者がもし、
自分がこのゴルフの真理を語ることこそが自分の使命、
と強く感じていればいるほど、
むしろ陥りやすい罠、ともいえる。

なので、内容が宗教的になるにつれ、
それを受け入れようとする側には十分注意が必要である。

・・・

それにしても、
ゴルフの真理を知ることがはたしてシアワセとは限りません。

たとえ、真実ではないとしても、
使命感を強く感じている熱心な論者の言葉であれば、
一般的にはその人の言葉を信じ、
ある意味真実を知らされず騙され続けていたほうが、
シアワセな場合は当然に多いと思われる。

ゴルフを哲学的に受け入れる場合、
何を目的にそうしているのか、
もう一度哲学してみるとともに、

それでももし、真理の追究を目的とするのであれば、
このことを、十分念頭において
おかなければいけないことではある。


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2010年04月28日

形式主義

越谷ゴルフです。

新たなゴルフ理論が生まれ、成長していく過程において、
内容に関してその範囲を大きく拡大していくことになる。

その拡大は、
既に知れ渡り整理されているそれまでの理論を
自分の土俵に引き入れるだけでなく、

とくに特殊なものや珍奇なものについても、これもまた同じく、
手持ちの材料や既に知れ渡っていることを利用して、
すなわち一切が、その新しいゴルフ理論の配下にある、
そういう状況が作り出された時、

一見、そのゴルフ理論が論理的、学問的に
成長したものに思えてしまう場合がある。

特に、その統合の作業に携わった者の気持ちとしては、
思い入れもあることだろう。なのでどうしても、
そう思えても仕方がないのは人情だと思う。

しかし、ここで問うているのは「内容に関して」の成長である。

もう一度ここまでを注意深く読み返していただくと、
すぐにわかるのだが、

内容に関しての成長と、形式を整えるという作業は、
本来しっかりと区別して考えるべきなのではないかと、
思うのだ。

内容の無い、意味の無い、
形式だけ立派に整ったゴルフ理論もかなり多い。

それはつまり、そういう事なのである。

形式だけの理論が原因で、
多くの悩めるゴルファーをさらに悩ませることにつながっている
ように感じられることも多い。

カタチから入ることを否定しているのではないが、
いつまでたっても核心にたどり着くことのできない、
だけれども極めて熱心な求道者が陥っている部分でもある。

真実は、実はシンプルだったりする。

・・・

形式を整えることは重要。
しかし、形式を整えたからといって、
それが優れた新しい理論であるということではない。

ましてや、現在では世の中の情報化が進み、
まったく中身がなくて形式だけ整えて、
旧来知れ渡っているものの名前を変えて、
新理論として登場しているのも多いのだが、

プロモーションが上手な、見かけで目を引くだけの、
ぜんぜん新しくない新理論がどれだけ多いことか…

本来、ゴルフにおいて、あるいはゴルフに限らず、
新しい理論の充実というものは、
そういった形式を仰々しく整えたものではなく、

もっと、内側から湧き出してくる豊かなもので、
自らの力で多種多様な形態をつくりあげていくもの。

単なる形式主義で、素材を変化させただけのものではない。


さらに・・・

ゴルフの理論も、道具の進化にしたがって、
どんどん変化している。

新しい道具の進化をきっかけとして、
新しい理論も生み出されやすい状況に常にあるのは事実。

そういう状況の下で、
ゴルフ理論の変化を唱える者も、もともとは、
既に言い古された、旧来の単なる形式知をうたう理論を否定し、
新しいゆたかな内容を伴った理論を生み出していくものだが、

しかし、しばらくすると皮肉なことに、
新しい道具、新しい道具の使い方、新しい内容の理論でもって、
形式主義を告発し、罵倒していたはずの論者でさえ
気がつけば形式主義に陥っていくことも多いのでは・・・

・・・

ゴルフ理論が、学問的に理論化され体系化されていく、
その過程とは、形式を整えていくことではあるのだが、
それにあたり形式主義というものについて、弊害について、
もう少し認識を深めてもいいのではないか。

特に、影響力のある人にお願いしたい。
おのれの認識力の欠如を無邪気にさらけだすことは、
勘弁していただきたい。

絶対的な現実を認識すること・・・

それが本来の、理論のあるべき姿だと思う。


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2010年01月08日

秘伝とは

越谷ゴルフです。

さて、例えばゴルフスイングでハッという気づきがあり
新しいスイング概念が登場したような場合、
その概念は、全体はいまだ単純なカタチをとる、
一般的な土台としてしか存在しない。

頭の中のイメージとしてなんとなくあるのだが、
意識にとってはこれまで体に馴染んでいる
今までのスイングが体を支配していて、
そのように体は動く。

だから、新しく登場した形態には、
内容の展開や分化が浅く、
まだまだ明確な輪郭をもってお互いを区別したり、
スイング全体を秩序立てて展開することができない。

しかし、この展開なくしては、
その新しいスイング概念が広く理論として
世界に理解されることはなく、

この、展開前の段階は、
いわゆる、わかる人にはわかるだけの、
少数の個人にだけ秘伝される、感覚的な財産である。

秘伝だというのは、そのスイング理論がさしあたり、
内面的な概念の中にしか存在しないからであり、
少数の個人に、というのは、その理論に広がりがなく、
その理論が個人的なものとなってしまうからである。

完全に明確な内容を備えたものだけが、
本来なら同時にゴルフスイング理論といわれるものであり、
本当の意味で概念的なものであり、
学習されて万人の所有物となる。

学問としての理論とは、
万人向きに、理解可能な形を備えたとき、
誰でもその道を歩めるようになったとき、
はじめて確立されるものである。

理解されたものとは、よくわかっているもののことであり、
理解できると、さらに理性的な知に向かおうとするのは、
その理論あるいは学問に足を踏み入れた者の、
当然の要求である。

理解とは、純粋に自我の活動であり、
自我の壁に隔てられ外側にある表面意識、学問的知へ、
自我の壁の内側にある潜在意識、言い換えると
感覚や感情や無意識上の記憶といった非学問的意識が
向かうことである。

それにしても始まったばかりの理論や学問、
いわゆる秘伝の段階にあるものは、
細部まで仕上げられてもいなければ
完璧な形式を獲得してもいないので、
そのことが論者によっては非難の対象にする部分である。

しかし、その非難は必ずしも核心を突くものではなく、
反対に非難された側もその理論の細部の展開を要求されても
拒否し認めようとしない、ということも多々あり
おそらくそれは間違っている。

ここに見られる対立は、
一方の側は材料の豊富さとわかりやすさを自慢し、
もう一方はそのわかりやすさを軽蔑したうえで
理性と神性(神秘性)がそのまま現れていることを自慢する。

・・・

秘伝とは、事柄の根拠を示しえない点で、
従来の一般論に敗北し、沈黙させられることが多い。

しかしもしその秘伝が真実であるならば、
その秘伝は沈黙により生き残っていけるものでもあり、
あるいはたえず期待を持たせながらも学問的な理論にまで
展開させられないがゆえに人々から忘れ去られていくものでもある。


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