ゴルフの真実について語られたものを読む場合の注意点
越谷ゴルフです。
各々がゴルフにおける真実(についての私観?)を
語っているのを読むにあたり、
その記述の主語が、「ゴルフとは・・・」となっている場合、
特に気をつけたいことがある。
その記述の内容の当否は、
記述の体系全体をもって判断するしかないが、
真理を巡る一切に関する重要な点は、
真理を「実体」としてではなく、
「主体」としてもとらえ、表現されている場合には、
解釈するにあたり特に注意が必要に思われる。
もう少し噛み砕いて説明すると、
真理を語るにあたり、知らず知らずのうちに、
真理=神 の認識が論者のうちに高まり、
内容がすりかわっていくこともあるということ。
科学的には真理とは絶対的なものであり、
宗教的には神が絶対的なものであるのだが、
宗教において神が語られるとき、
神とは、実体ではなく、主体であることは、
例えばキリスト教における聖書の記述をみても
それは明白であり、
熱心な論者ほど、
その情熱の源が宗教的なものである可能性も高い、
ことも十分ありうるからである。
その論者がもし、
自分がこのゴルフの真理を語ることこそが自分の使命、
と強く感じていればいるほど、
むしろ陥りやすい罠、ともいえる。
なので、内容が宗教的になるにつれ、
それを受け入れようとする側には十分注意が必要である。
・・・
それにしても、
ゴルフの真理を知ることがはたしてシアワセとは限りません。
たとえ、真実ではないとしても、
使命感を強く感じている熱心な論者の言葉であれば、
一般的にはその人の言葉を信じ、
ある意味真実を知らされず騙され続けていたほうが、
シアワセな場合は当然に多いと思われる。
ゴルフを哲学的に受け入れる場合、
何を目的にそうしているのか、
もう一度哲学してみるとともに、
それでももし、真理の追究を目的とするのであれば、
このことを、十分念頭において
おかなければいけないことではある。
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