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2009年12月

2009年12月03日

ゴルフにおける、美しく神聖にして永遠なるもの

越谷ゴルフです。

これまでの考察では、ゴルフにおける真理の本当の姿は
学問の形に求められているのではないかという可能性を
論じてきた。

これは言い換えると、
真理は概念の領域にその存在の場がある、
と主張することでもある。

しかしこれは、ゴルフは概念的なものではなく、
実際にボールを打ち、結果が残るものである、ということと、
矛盾する考えでもあることは十分承知できる。

この矛盾について説明しておくことは、
現在一般的に広まり、流行しているゴルフ論やゴルフ哲学を
もう一段上の領域に引き上げるのに意味のないことではない、
と思われる。

一般的に教義されているゴルフ論やゴルフ哲学によると、
真理とは、直感とか絶対なるものの直接知、というか、
それは宗教というか、存在・・・宗教的な表現をするならば、
神の愛の中心にある存在ではなく、ただ存在そのもの
とでもいうものである。

いや、ゴルフとはゴルフをすること、
つまり現実のゴルフとしてしか存在しないものであるのだが、

だとすると、それをゴルフ哲学敵に表現してみるならば、
概念としての形式とは反対のものが要求されることになる。

絶対的なものは概念によって捉えられるものではなく、
感じられ、直感されるものであり、

絶対的なものの概念ではなく、絶対的なものの感情や直感、
その感情や直感というものを言葉によって明らかに
されなければならない、ということになる。

そのような要求があらわれる理由を、考えてみるならば、
それはゴルフに限らず、人間の活動や存在一般的な広い状況
とのつながりのもとに捉え、ゴルフについて、人間精神が到達した、
現在の段階について、把握しておくことは意義がある。

神とはカタチとして現実に存在するものではなくて概念的なもの、
しかしゴルフは実際に行うもの。

精神は、思考の場の営みで神と一体化できることだとすると、
現実のゴルフとは、現実のものとしての存在でありながら、
その神の次元を超えているということが明らかと言える。

ゴルフとは、素朴な信仰の次元を超え、
ゴルフにおける神とは、内面にも外界にも広く存在するという
確信と満足の次元を超えている、

というわけだ。

ゴルフの精神は、神なき自己反省という反対の領域に達する
のみならず、その領域の次元を超えている。

ゴルフの精神の本質ともいえる、神との共同プレー、
それをを喪失しただけでなく、
その喪失に伴う自らの内容の限界の意識、
神との共同プレー喪失後のカスのような現実から目を背け、
己の境遇のひどさを認める。。。

その非を鳴らす精神が今求められいるというわけだ。

それは己の現在についての知ではなく、
かつて神とともに一体化し共同プレーされて頃に戻れるのか、
それを再現させることが求められているのである。

ゴルフにおける、美しく神聖にして永遠なるもの・・・


ここではその存在としての神との共同プレーについて
少し述べておくことと致します。

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越谷市大間野町1-155
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2009年12月04日

感覚的で卑俗でとりとめのないゴルフ

越谷ゴルフです。

神との一体化されたゴルフ・・・
それは閉ざされた神の世界の扉を押し開くことでもなく、
その世界への自覚をもたらすことでもなく、
特殊な思考は全て捨て去り、概念上の区別は押しつぶし、
絶対存在の感情を打ち立てること。。。

洞察を深めるでもなく、宗教心を高めること。

ということになるのだが、前回述べた「美しく神聖なもの」や、
宗教や、愛というものは、しかしいうなれば、
魚をおびき寄せるためのえさに過ぎないと言えなくもない。

概念ではなく、法悦が、つまり絶対感情が、
冷静に進む事柄の必然ではなくたぎりたつ霊感が、
こうしたゴルフにおける神の世界の豊かさを支え、
拡大していく力になるというのである。

・・・

こうした要求に応えるにはまず、
感覚的で卑俗的でとりとめのないゴルフをする者を、
その境遇から引きずり出し、まず天上の神々、
あるいは星等へ目を向けさせるために、
力のこもった、性急で落ち着きのない努力
それがまず行われることになる。

嘆き悲しみのゴルフを行う者に、
天界に広がる多種多様な思考と形象に満たされた、
あるとあらゆるものからの意味の光線を放ち、
それによって地上と天上を結びつけるというべきか、

ゴルファーの視線を地上にとどまらせるだけでなく、
天上へと向かわせ、神々しい世界を垣間見させる。

彼岸の現在ともいうべきもの・・・

精神のまなざしはそうして地上の現実へと向けさせる。

此岸の世界に広がるあいまいで
混乱して矛盾だらけの状態のうちに、
天上界でしか得られないような明晰さを注ぎ込み、
目の前の現実のものに注意を向ける・・・。

それは「経験」であり、
それに価値を認めさせるには少々時間が必要となる。

それにしても、
今求められているゴルフ論やゴルフ哲学は、
それと反対の方向であり、人々の関心が、
あまりにも地上に深く根をおろしているため、
それを天上に向けさせるには、並大抵の苦労ではない。

精神のまずしさは目を覆うばかりで、それは、
砂漠の放浪者が一口の水を求めるように、元気回復のため、
ほんの少しでも神の感情を得られさえすればと、
必死になっている。

そんなものでゴルフから満足が得られるところに、
かえって失われているものの大きさがあらわれると
いうものである。

・・・

それにつけても、なにかをもらえれば満足し、
与えることには出し惜しみするという態度ばかりが
どうしても目に付くのである。


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2009年12月10日

幻想の中で身ごもり、生み出すのは、それもまた幻想。はかない夢に過ぎない。

越谷ゴルフです。

ゴルフをしていることの喜び、感激、
夢中になり、得意顔をし、そして落胆し・・・

それをここではゴルフの神に対する宗教的満足と、
敢えて表現しておくが、そうした感激と混迷をもって、
ゴルフは理屈ではない、と考えるわけにはいかない。

興奮状態、トランス状態をもって高尚とする、
預言者風のおしゃべりは、それこそ
自分こそものごとの中心で深みにふれているという自惚れ。

それは、明晰な世界に軽蔑のまなざしを向け、
概念や必然性にも、日常のゴルフ活動を住拠とする反省にも
あえて近づこうとしない。

が、空虚な広がりがあるように、空虚な深みもあるものだし、
日常的に多面的な展開をしながらそれをまとめる力のない
散漫な、その日その日によって違うゴルフがあるように、

広がりのない純粋な力にとどまるがゆえに、
何の深みもない、無内容な集中力というものもある。

精神の力は外への発現によりその大きさは測られる。
しかしその深さも、精一杯身を投げ出して外への広がりへの
力を持つ限りでの深さでしかない。

同時にこの概念なき神の知が、これぞゴルフ、
わかった!自分こそが絶対存在と一体化し、
真実で神聖なゴルフをおこなっている、と言い張るならば、

そこに隠された事の真相は、知が神と一体化しているどころか
限度やけじめを軽視したがためにむしろ、
行き当たりばったりの内容や、自分勝手な思い込みに、
そのまま甘んじている結果にしかなっていない。

ということである。

宗教的な言い方を続けさせていただくが、
神をめぐる放縦な興奮に身をまかせたゴルファーは、
自己意識に覆いをかけ、知性を放棄していながら、
それによって神の世界に招かれ、
夢の中で神の叡智に預かるものだと思い込んでいる。

彼らが夢を見ている、幻想の中で身ごもり、生み出すのは、
それもまた幻想。はかない夢に過ぎない。

これからの時代、ゴルフが人間の活動である限り、
ゴルフにおいても、精神は、
これまで当たり前とされている現実と観念世界に別れを告げ
いうなれば現在のゴルフ論やゴルフ哲学が抱えている矛盾
それを過去の淵に沈め、変革の作業に取り掛かることに
なるだろう。

精神は常に前進活動を行っているがそれはちょうど、
長く静かな栄養補給により大きく成長した胎児が、
この世に生をうけ新生児として生まれ、最初の一息をする
質的な飛躍に似て、

ゴルフにおける精神のあり方はゆっくりと静かに新しい形態に
成熟している最中とも言える。

以前のゴルフ理論やゴルフ哲学は少しずつ壊れ、
動揺に直面している状況は非常に多い。
その動揺は兆候として示唆されているにすぎないが、

その現体制に無分別や退屈の要素が紛れ込み、
わけのわからない感覚が漠然と広がりを見せるとき、
その違和感が、実は別の世界の到来を告げる前兆。

全体の概観を変えることない緩慢な破壊作用が
あるとき様相を一変させ、稲妻のように、
新しいゴルフの世界の像が打ち立てられるのかもしれない。


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2009年12月29日

登場したばかりのものは概念のみしか整わぬ素朴な存在にすぎない

越谷ゴルフです。

全体の概観を変えることない緩慢な破壊作用が
あるとき様相を一変させ、稲妻のように、
新しいゴルフの世界の像が打ち立てられるのかもしれない。

そしてもし新しいゴルフの世界の像が打ち立てられたとすると、
その新世界は生まれたばかりの新生児と同様、
完全な現実を備えてはいないことだろう。
それは絶対に見落としてはいけない部分で、
登場したばかりのものは概念のみしか整わぬ素朴な存在
にすぎない。

土台ができただけ、あるいは柱が立っただけでは
建物が完成したとは言えないように、
全体の疑念が得られただけでは
全体が得られたというわけではない。

森に、ある力強い一本の大木があるとすると、
それは力強い幹に支えられ、枝が大きく広がり、
葉がうっそうと茂っているものである。
もちろん、その下の見えない部分には、
しっかりと根が張っている。

その大木が実らせる果実を示されただけで、
満足するわけにはいかない。

同様に、新しいゴルフの世界の像が打ち立てられた時は、
はじまったばかりで完成されているというわけではない。

新しいゴルフの世界のはじまりは、
多様な経験や完成や教養といった形式で積み上げられ、
熟成されたものの変革の結果として得られたものであり、
複雑に絡まる精神の道と、同様に複雑な努力と労苦の末、
その結果として生じるものである。

精神の新しいはじまりとは、
縦につらなり、横に広がり、あるいはさらに三次元的に
それが深みや高さを持ち、そうした後に、
自分に還ってきて、しかしそれは決して複雑ではなく、
実は単純な概念となって現れるものであることは、
ゴルフ練習に熱心な人であれば、
一つの技術の習得が同じような過程をたどるので、
すぐに理解していただける部分でもある。

そしてこの単純な全体が現実性を獲得するには、
概念のうちに要素として吸収されたさまざまな形態が、
これまでとは違う、あらたな場で、あるいはレベルで、
あるいはステージといったところで、
ふさわしくあらたに発展を遂げ、
新たな形態を獲得するというものである。


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