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   <title>越谷ゴルフリンクスのブログ</title>
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   <updated>2010-01-08T03:44:47Z</updated>
   <subtitle>【裏！越谷ゴルフリンクス】としてゴルフ練習に関して様々な話題をとりあげています。
 もしかすると、このブログはあなたのゴルフの精神上の健康を害する恐れがありますので、注意してお読みください。練習場のHPは www.koshigayagolf.com
 です。 </subtitle>
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   <title>秘伝とは</title>
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   <published>2010-01-08T03:40:33Z</published>
   <updated>2010-01-08T03:44:47Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 さて、例えばゴルフスイングでハッという気づきがあり 新しいスイ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
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         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

さて、例えばゴルフスイングでハッという気づきがあり
新しいスイング概念が登場したような場合、
その概念は、全体はいまだ単純なカタチをとる、
一般的な土台としてしか存在しない。

頭の中のイメージとしてなんとなくあるのだが、
意識にとってはこれまで体に馴染んでいる
今までのスイングが体を支配していて、
そのように体は動く。

だから、新しく登場した形態には、
内容の展開や分化が浅く、
まだまだ明確な輪郭をもってお互いを区別したり、
スイング全体を秩序立てて展開することができない。

しかし、この展開なくしては、
その新しいスイング概念が広く理論として
世界に理解されることはなく、

この、展開前の段階は、
いわゆる、わかる人にはわかるだけの、
少数の個人にだけ秘伝される、感覚的な財産である。

秘伝だというのは、そのスイング理論がさしあたり、
内面的な概念の中にしか存在しないからであり、
少数の個人に、というのは、その理論に広がりがなく、
その理論が個人的なものとなってしまうからである。

完全に明確な内容を備えたものだけが、
本来なら同時にゴルフスイング理論といわれるものであり、
本当の意味で概念的なものであり、
学習されて万人の所有物となる。

学問としての理論とは、
万人向きに、理解可能な形を備えたとき、
誰でもその道を歩めるようになったとき、
はじめて確立されるものである。

理解されたものとは、よくわかっているもののことであり、
理解できると、さらに理性的な知に向かおうとするのは、
その理論あるいは学問に足を踏み入れた者の、
当然の要求である。

理解とは、純粋に自我の活動であり、
自我の壁に隔てられ外側にある表面意識、学問的知へ、
自我の壁の内側にある潜在意識、言い換えると
感覚や感情や無意識上の記憶といった非学問的意識が
向かうことである。

それにしても始まったばかりの理論や学問、
いわゆる秘伝の段階にあるものは、
細部まで仕上げられてもいなければ
完璧な形式を獲得してもいないので、
そのことが論者によっては非難の対象にする部分である。

しかし、その非難は必ずしも核心を突くものではなく、
反対に非難された側もその理論の細部の展開を要求されても
拒否し認めようとしない、ということも多々あり
おそらくそれは間違っている。

ここに見られる対立は、
一方の側は材料の豊富さとわかりやすさを自慢し、
もう一方はそのわかりやすさを軽蔑したうえで
理性と神性（神秘性）がそのまま現れていることを自慢する。

・・・

秘伝とは、事柄の根拠を示しえない点で、
従来の一般論に敗北し、沈黙させられることが多い。

しかしもしその秘伝が真実であるならば、
その秘伝は沈黙により生き残っていけるものでもあり、
あるいはたえず期待を持たせながらも学問的な理論にまで
展開させられないがゆえに人々から忘れ去られていくものでもある。


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越谷ゴルフリンクス
越谷市大間野町１－１５５
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   <title>登場したばかりのものは概念のみしか整わぬ素朴な存在にすぎない</title>
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   <published>2009-12-29T10:52:16Z</published>
   <updated>2009-12-29T10:59:52Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 全体の概観を変えることない緩慢な破壊作用が あるとき様相を一変...</summary>
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         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

全体の概観を変えることない緩慢な破壊作用が
あるとき様相を一変させ、稲妻のように、
新しいゴルフの世界の像が打ち立てられるのかもしれない。

そしてもし新しいゴルフの世界の像が打ち立てられたとすると、
その新世界は生まれたばかりの新生児と同様、
完全な現実を備えてはいないことだろう。
それは絶対に見落としてはいけない部分で、
登場したばかりのものは概念のみしか整わぬ素朴な存在
にすぎない。

土台ができただけ、あるいは柱が立っただけでは
建物が完成したとは言えないように、
全体の疑念が得られただけでは
全体が得られたというわけではない。

森に、ある力強い一本の大木があるとすると、
それは力強い幹に支えられ、枝が大きく広がり、
葉がうっそうと茂っているものである。
もちろん、その下の見えない部分には、
しっかりと根が張っている。

その大木が実らせる果実を示されただけで、
満足するわけにはいかない。

同様に、新しいゴルフの世界の像が打ち立てられた時は、
はじまったばかりで完成されているというわけではない。

新しいゴルフの世界のはじまりは、
多様な経験や完成や教養といった形式で積み上げられ、
熟成されたものの変革の結果として得られたものであり、
複雑に絡まる精神の道と、同様に複雑な努力と労苦の末、
その結果として生じるものである。

精神の新しいはじまりとは、
縦につらなり、横に広がり、あるいはさらに三次元的に
それが深みや高さを持ち、そうした後に、
自分に還ってきて、しかしそれは決して複雑ではなく、
実は単純な概念となって現れるものであることは、
ゴルフ練習に熱心な人であれば、
一つの技術の習得が同じような過程をたどるので、
すぐに理解していただける部分でもある。

そしてこの単純な全体が現実性を獲得するには、
概念のうちに要素として吸収されたさまざまな形態が、
これまでとは違う、あらたな場で、あるいはレベルで、
あるいはステージといったところで、
ふさわしくあらたに発展を遂げ、
新たな形態を獲得するというものである。


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   <title>幻想の中で身ごもり、生み出すのは、それもまた幻想。はかない夢に過ぎない。</title>
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   <published>2009-12-10T02:35:18Z</published>
   <updated>2009-12-10T02:40:56Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 ゴルフをしていることの喜び、感激、 夢中になり、得意顔をし、そ...</summary>
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   </author>
         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

ゴルフをしていることの喜び、感激、
夢中になり、得意顔をし、そして落胆し・・・

それをここではゴルフの神に対する宗教的満足と、
敢えて表現しておくが、そうした感激と混迷をもって、
ゴルフは理屈ではない、と考えるわけにはいかない。

興奮状態、トランス状態をもって高尚とする、
預言者風のおしゃべりは、それこそ
自分こそものごとの中心で深みにふれているという自惚れ。

それは、明晰な世界に軽蔑のまなざしを向け、
概念や必然性にも、日常のゴルフ活動を住拠とする反省にも
あえて近づこうとしない。

が、空虚な広がりがあるように、空虚な深みもあるものだし、
日常的に多面的な展開をしながらそれをまとめる力のない
散漫な、その日その日によって違うゴルフがあるように、

広がりのない純粋な力にとどまるがゆえに、
何の深みもない、無内容な集中力というものもある。

精神の力は外への発現によりその大きさは測られる。
しかしその深さも、精一杯身を投げ出して外への広がりへの
力を持つ限りでの深さでしかない。

同時にこの概念なき神の知が、これぞゴルフ、
わかった！自分こそが絶対存在と一体化し、
真実で神聖なゴルフをおこなっている、と言い張るならば、

そこに隠された事の真相は、知が神と一体化しているどころか
限度やけじめを軽視したがためにむしろ、
行き当たりばったりの内容や、自分勝手な思い込みに、
そのまま甘んじている結果にしかなっていない。

ということである。

宗教的な言い方を続けさせていただくが、
神をめぐる放縦な興奮に身をまかせたゴルファーは、
自己意識に覆いをかけ、知性を放棄していながら、
それによって神の世界に招かれ、
夢の中で神の叡智に預かるものだと思い込んでいる。

彼らが夢を見ている、幻想の中で身ごもり、生み出すのは、
それもまた幻想。はかない夢に過ぎない。

これからの時代、ゴルフが人間の活動である限り、
ゴルフにおいても、精神は、
これまで当たり前とされている現実と観念世界に別れを告げ
いうなれば現在のゴルフ論やゴルフ哲学が抱えている矛盾
それを過去の淵に沈め、変革の作業に取り掛かることに
なるだろう。

精神は常に前進活動を行っているがそれはちょうど、
長く静かな栄養補給により大きく成長した胎児が、
この世に生をうけ新生児として生まれ、最初の一息をする
質的な飛躍に似て、

ゴルフにおける精神のあり方はゆっくりと静かに新しい形態に
成熟している最中とも言える。

以前のゴルフ理論やゴルフ哲学は少しずつ壊れ、
動揺に直面している状況は非常に多い。
その動揺は兆候として示唆されているにすぎないが、

その現体制に無分別や退屈の要素が紛れ込み、
わけのわからない感覚が漠然と広がりを見せるとき、
その違和感が、実は別の世界の到来を告げる前兆。

全体の概観を変えることない緩慢な破壊作用が
あるとき様相を一変させ、稲妻のように、
新しいゴルフの世界の像が打ち立てられるのかもしれない。


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   <title>感覚的で卑俗でとりとめのないゴルフ</title>
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   <id>tag:golf.fool.jp,2009://1.427</id>
   
   <published>2009-12-04T06:18:04Z</published>
   <updated>2009-12-04T06:20:57Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 神との一体化されたゴルフ・・・ それは閉ざされた神の世界の扉を...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

神との一体化されたゴルフ・・・
それは閉ざされた神の世界の扉を押し開くことでもなく、
その世界への自覚をもたらすことでもなく、
特殊な思考は全て捨て去り、概念上の区別は押しつぶし、
絶対存在の感情を打ち立てること。。。

洞察を深めるでもなく、宗教心を高めること。

ということになるのだが、前回述べた「美しく神聖なもの」や、
宗教や、愛というものは、しかしいうなれば、
魚をおびき寄せるためのえさに過ぎないと言えなくもない。

概念ではなく、法悦が、つまり絶対感情が、
冷静に進む事柄の必然ではなくたぎりたつ霊感が、
こうしたゴルフにおける神の世界の豊かさを支え、
拡大していく力になるというのである。

・・・

こうした要求に応えるにはまず、
感覚的で卑俗的でとりとめのないゴルフをする者を、
その境遇から引きずり出し、まず天上の神々、
あるいは星等へ目を向けさせるために、
力のこもった、性急で落ち着きのない努力
それがまず行われることになる。

嘆き悲しみのゴルフを行う者に、
天界に広がる多種多様な思考と形象に満たされた、
あるとあらゆるものからの意味の光線を放ち、
それによって地上と天上を結びつけるというべきか、

ゴルファーの視線を地上にとどまらせるだけでなく、
天上へと向かわせ、神々しい世界を垣間見させる。

彼岸の現在ともいうべきもの・・・

精神のまなざしはそうして地上の現実へと向けさせる。

此岸の世界に広がるあいまいで
混乱して矛盾だらけの状態のうちに、
天上界でしか得られないような明晰さを注ぎ込み、
目の前の現実のものに注意を向ける・・・。

それは「経験」であり、
それに価値を認めさせるには少々時間が必要となる。

それにしても、
今求められているゴルフ論やゴルフ哲学は、
それと反対の方向であり、人々の関心が、
あまりにも地上に深く根をおろしているため、
それを天上に向けさせるには、並大抵の苦労ではない。

精神のまずしさは目を覆うばかりで、それは、
砂漠の放浪者が一口の水を求めるように、元気回復のため、
ほんの少しでも神の感情を得られさえすればと、
必死になっている。

そんなものでゴルフから満足が得られるところに、
かえって失われているものの大きさがあらわれると
いうものである。

・・・

それにつけても、なにかをもらえれば満足し、
与えることには出し惜しみするという態度ばかりが
どうしても目に付くのである。


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   <title>ゴルフにおける、美しく神聖にして永遠なるもの</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://golf.fool.jp/2009/12/post_414.html" />
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   <published>2009-12-03T13:00:17Z</published>
   <updated>2009-12-03T13:04:57Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 これまでの考察では、ゴルフにおける真理の本当の姿は 学問の形に...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

これまでの考察では、ゴルフにおける真理の本当の姿は
学問の形に求められているのではないかという可能性を
論じてきた。

これは言い換えると、
真理は概念の領域にその存在の場がある、
と主張することでもある。

しかしこれは、ゴルフは概念的なものではなく、
実際にボールを打ち、結果が残るものである、ということと、
矛盾する考えでもあることは十分承知できる。

この矛盾について説明しておくことは、
現在一般的に広まり、流行しているゴルフ論やゴルフ哲学を
もう一段上の領域に引き上げるのに意味のないことではない、
と思われる。

一般的に教義されているゴルフ論やゴルフ哲学によると、
真理とは、直感とか絶対なるものの直接知、というか、
それは宗教というか、存在・・・宗教的な表現をするならば、
神の愛の中心にある存在ではなく、ただ存在そのもの
とでもいうものである。

いや、ゴルフとはゴルフをすること、
つまり現実のゴルフとしてしか存在しないものであるのだが、

だとすると、それをゴルフ哲学敵に表現してみるならば、
概念としての形式とは反対のものが要求されることになる。

絶対的なものは概念によって捉えられるものではなく、
感じられ、直感されるものであり、

絶対的なものの概念ではなく、絶対的なものの感情や直感、
その感情や直感というものを言葉によって明らかに
されなければならない、ということになる。

そのような要求があらわれる理由を、考えてみるならば、
それはゴルフに限らず、人間の活動や存在一般的な広い状況
とのつながりのもとに捉え、ゴルフについて、人間精神が到達した、
現在の段階について、把握しておくことは意義がある。

神とはカタチとして現実に存在するものではなくて概念的なもの、
しかしゴルフは実際に行うもの。

精神は、思考の場の営みで神と一体化できることだとすると、
現実のゴルフとは、現実のものとしての存在でありながら、
その神の次元を超えているということが明らかと言える。

ゴルフとは、素朴な信仰の次元を超え、
ゴルフにおける神とは、内面にも外界にも広く存在するという
確信と満足の次元を超えている、

というわけだ。

ゴルフの精神は、神なき自己反省という反対の領域に達する
のみならず、その領域の次元を超えている。

ゴルフの精神の本質ともいえる、神との共同プレー、
それをを喪失しただけでなく、
その喪失に伴う自らの内容の限界の意識、
神との共同プレー喪失後のカスのような現実から目を背け、
己の境遇のひどさを認める。。。

その非を鳴らす精神が今求められいるというわけだ。

それは己の現在についての知ではなく、
かつて神とともに一体化し共同プレーされて頃に戻れるのか、
それを再現させることが求められているのである。



ゴルフにおける、美しく神聖にして永遠なるもの・・・


ここではその存在としての神との共同プレーについて
少し述べておくことと致します。



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   <title>ゴルフから得ようとしているもの</title>
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   <id>tag:golf.fool.jp,2009://1.425</id>
   
   <published>2009-11-27T03:06:16Z</published>
   <updated>2009-11-27T03:10:24Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 社会に出て、ゴルフをまだやった事がない者が 初めてゴルフを始め...</summary>
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      <name></name>
      
   </author>
         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

社会に出て、ゴルフをまだやった事がない者が
初めてゴルフを始めるということは、
日常生活を抜け出して、教養の分野に一歩踏み出した
そんな感覚を覚えるのは長くゴルフをやってきた者にも
うすうすわかることであろう。

ゴルフのもつイメージには、そういう魅力が溢れている。

そして、はじめてゴルフクラブを握ってボールに向かうとき、
今までその人がゴルフ以外から一般的に自分が経験してきた
常識や、原則といった視点からゴルフに立ち向かう。

また、一度ボールを打ってみたら次に、
それらゴルフを始める以前に習得してきたもの
それを超えた新たな知識、思考を求める。
そしてそれは具体的で、内容豊かで、明晰であることを期待する。

まだ自分の知らない、未知の世界が大きく広がっているのに
気づかされるのである。だからそこに憧れるとも言えるし、
だから教養の分野だとここでは言う。

教養がはじまったばかりの段階では、
充実した日常生活から一歩踏み込んで教養、
つまりゴルフに真剣に取り組むのであるが、

その真剣な取り組みが長く続く、としたらそれを言い換えるなら、
新たな経験を積み重ね、事柄の深層にある概念と、
真剣に取り組んでいるというわけで、

その段階の水準で得た知識、評価、あるいは感動というものは、
日常生活にもどって日常会話の中で披瀝されるものでもある。

・・・

さて、もし真理が明確な形をもって存在されるとしたら、
その形態は体系的で、学問のようなものでしかありえない。

だとすると、
ゴルフ論、ゴルフ哲学を教義し生業とする者の使命は、
その理論あるいは哲学は、学問の形式に近づけることにある
ということを認識しておかなければならない。

哲学の原義は、「知への愛」
しかしただ知に憧れるだけではなく、本物の知に近づくべく、
真剣に取り組もうという者がいるならば、その期待に、
応えねばならない。ゴルフ論を語るものにはその責任がある。

知が学問の形をとるという内向的必然性は、知の性質であり、
その事を十分に説明するとしたら、哲学を叙述してみせるほか
方法はない、というわけだ。

しかし、それとは別に、「いわゆるカタチから入る」という方法、
すなわち外的な必然性からのアプローチというのも一般的で、
むしろこちらのほうが、内向的必然性より多いのも現実。

しかしそれにしても、たとえそれが外的なものであっても、
単なる個人の思いつきや気まぐれ、あるいは個人的なきっかけ
といった意味ではなく、一般的な意味で捉えるとやはり、
それら単なる思いつきや気まぐれをどう体系づけるか
それが重要になり、そこまで高めなければ、
例えばゴルフスイングにおける重要事項の一つである「再現性」
というものはなく、やはり、

ゴルフから得ようとしているものを得られるように、
一般の人を導くとするならば、学問にまで高める必然性は
明白であり、

また明白にするということは、
同時にその目的を実行することにもなるのである。


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   </content>
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<entry>
   <title>ゴルフ論体系どうしが矛盾する時</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://golf.fool.jp/2009/11/post_412.html" />
   <id>tag:golf.fool.jp,2009://1.424</id>
   
   <published>2009-11-25T13:49:48Z</published>
   <updated>2009-11-25T13:27:37Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 ゴルフ論体系どうしが矛盾する時、多くの論者は、 その矛盾を全体...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

ゴルフ論体系どうしが矛盾する時、多くの論者は、
その矛盾を全体の中に位置づけていないことが通例である。

したがって、
はじめてその矛盾に直面したゴルフ初心者は混乱するのである。

ある程度ゴルフを求道し、自分なりに矛盾を解決してきた者には、
その矛盾を、正反対の表現ではあるが、全く同じ事を述べている
ことに気づくかもしれない。

しかし一般には、その矛盾を概観するものは無責任であり、
矛盾する一方を真とし一方を偽と決め込み、双方を自由に行き来き
させることはしないし、対立して衝突する形のどちらか側に決め込み
どちらにも、本質にせまるための必要不可欠な要素があることを認識
できないでいるのである。

とはいえ、体系の真偽をはっきりさせなければいけない場合もあり、
その要求を満たすことこそ肝心であると思う人もいるかもしれない。

しかし、核心はなによりその目的と結論のうちにかたられるはずだし、
目的と結論は同じ問題を扱った同時代の主張との違いのうちに、
何よりも明確に認識することが出来る。

例をあげるなら、例えば富士山の山頂をめざして歩く場合、
南から登る者にとっては、北へ向かって歩くことが真である。
しかし北側から登る者にとっては、南へ向かうことが真である。

この場合、北へ歩くという行為と、南へ歩くという行為は、
全くもって両者は矛盾していることになっている。
しかしだからといって、双方が双方とも偽ではない。
というわけだ。

この認識は極めて重要。

しかし、そうした認識は単なるはじまりでもあることに気づかず
そこで満足してしてしまう論者も多いことに注意、あるいは自戒
したいものでもある。

現実の認識がすべてであると満足してしまうことは、
それは事柄そのものを遠まわしに回避し、
事柄に熱心に取り組むふりをしていながら、その実、
取り組みを怠っているという詐術に手を染めていることに等しい。

なぜなら、事柄は、
目的のうちではなく、展開過程に汲み尽くされるものであり、
いうなれば結論のみが全てではなく、
結論とその生成過程を合わせたものが、
現実の全体なのだから、

目的それ自体は生命のない一般観念であり、
一方でまた目的を目指す衝動もまた、
現実性を欠いた単なる意欲に過ぎず、

裸の結論としては、衝動、言い換えれば生命を
抜き取られた屍に過ぎないというものである。


・・・

同様に、他のゴルフ論との違いを示すと言う行為も、
実は事柄そのものにかかわっているのではなく、
事柄の境界線上あるいは事柄の外側に身を置いている
ことに近いとも言える。

「違い」とは、事柄の外で起きることあるいは
事柄ではないものをさす言葉であるから、これも、
陥りやすい自己満足でもある。

こんな話を聞くと特にそう思うのです。

同じ練習場で違うインストラクターからレッスンを受けたら、
ゴルフを教えてくれたのではなく、
もう一人のインストラクターの悪口で終始した・・・

そういうゴルフ論、ゴルフ哲学を聞かされる者側にとっては、
まったくとってつまらないのである。
それはなぜなら、そこに内容はなく、事柄の外側にいるわけだから
致し方ないのである。

ではなぜ、そんな状況に陥りやすいのか。

それは、あるゴルフ論体系が他のゴルフ論体系と違うということの、
真偽を語ったり評価するという行為は、そんなに難しくないから。

その行為は、物事に取り組むということよりも、
つねに事柄の外側に向かっていくことであり、
あるいはその知は、
事柄の中にとどまって没頭するというものでもなく、
常になにか別のものにも手を伸ばすというものでもなく、
事柄そのものに身をゆだねる行為でもなく、
自分の枠の範囲内にとどまりつづけていることでもある。

内容と実質について評価するのは易しく、
そうではなく、その内容と実質がどんなものかを捉えることは
難しいものである。

そしてここで述べたのは、もっと難しいのは、
その二つを統一すること。

つまり、内容と実質を表現することである。

・・・
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   <title>そもそもゴルフ論というものは・・・</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://golf.fool.jp/2009/11/post_413.html" />
   <id>tag:golf.fool.jp,2009://1.423</id>
   
   <published>2009-11-24T13:08:26Z</published>
   <updated>2009-11-24T13:12:55Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 世の中ではさまざまな人がさまざまなゴルフ論を唱え、 ゴルフ論と...</summary>
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      <name></name>
      
   </author>
         <category term="ゴルフ哲学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

世の中ではさまざまな人がさまざまなゴルフ論を唱え、
ゴルフ論というものはゴルファーの数だけ存在します。

大まかに言うと、メンタル面から入るもの、
それから知性面から入るもの、そしてフィジカル面から入るもの。
それぞれのアプローチから真理を追究しようと
試みられているのですが、その姿はまさに哲学・・・。

ゴルフという同じ対象を扱っているにもかかわらず、
それぞれのゴルフ論において、論者の狙いとする目的がどこにあり、
また、同時代やそれ以前のゴルフ論にどういう影響を受け、
どう新境地を開拓したかを整理してみることは、有効なこと

かもしれないし、もしかするとゴルフ論の性質上、
不適切なもので不都合なものかもしれない。

各論者が、ゴルフ論の変遷についてその歴史に照らし合わせて
おのれの傾向や立場、一般的内容と結論を提示したり、
多くの人が口にする真理論や真理説を結び合わせたり、
そういうことをすることも多いが、

それを哲学的見地からすると、
そんなやり方でもって絶対真理の表現であると考えるには
非常に安易すぎるのである。

それでいて一方、哲学的考察を行うとすれば、
特殊な事例を内に含む一般論として語られるものだから、
目的や最終結論のうちに事柄そのものが完全無欠な形で
表現されるはずで、途中の展開過程はあまり重要でない、

といった幻想に陥りやすいのもまた現実である。

・・・

例えばゴルフを哲学ではなく、解剖学からアプローチした場合は、
体の各部分を生命なきものとして知っただけでは現実のゴルフ
その内容である事柄を手に入れることは決してできない。

さらに進んでそれぞれの特殊な在り方を探求するある、
ということは誰でもすぐに考えることである。

さらにいえば、それはゴルフを学問として、あるいは理論として、
研究するといったことに値しない。

そういう知識の寄せ集めの場合には、
目的などをめぐる一般的な理論と、
神経、筋肉といった内容そのものをめぐる、
概念なき側物的な議論とが区別されていないからである。

・・・

ところが、解剖学ではなく、哲学的に考えるとなると、
一般論と各論とのあいだに矛盾が生じるもので、
矛盾があるのがゴルフだと逃げてしまったゴルフ論も多いのだが、
それでは真理を捉えていないことを、自ら証明しているようなもの
となってしまっているのもまた現実である・・・。


となると、あるゴルフ論が同じゴルフを語った他のゴルフ論と、
どういう関係にあるのか、といった議論も、本来の真理追究とは
異質の関心を呼び起こすことになり、肝要な、真理の認識をかえって
くもらせてしまうことにもなりかねない。

真と偽とは対立するものだと固定されてしまうと、
あるゴルフ論については賛成か反対しかなくなります。
そのゴルフ論の体系についても真偽をはっきりさせることにしか
意義を見出せなくなってしまう・・・。

一般的なゴルファーは、
あるゴルフ理論体系とまたある違うゴルフ理論体系を知ったとき、
それらの違いを、真理の発展段階の違いとして捉えることはなく、
違うものはどちらか、一方にしか真理はないものと考えるもの。

言い換えるなら、つぼみがなくなって花となって開いたとき、
つぼみは花によって反駁される、というようなもので、

同様に、花が実になればなれば、花は偽りの存在ということになり、
植物の真理は花から実に移ったことになる。

それぞれの存在は互いに異なるだけでなく、
両立しえないものとして互いに排除しあう関係にあるということ。

しかしそれらを一連の流れとして考えるならば、
つぼみ、花、実、といった三つの存在は、
有機的に統一された一つの存在、構成要素とみなされ、
互いが対立するどころか、どれが不要ということもなく、
みっつそろってはじめて全体の植物というものが説明される。

・・・

ゴルフにおける、あるいはゴルフ論におけるさまざまな矛盾・・・

それはもしかして、
ゴルフ上達の過程で抱える矛盾かもしれないし、
当のゴルファー達が、あるいは論者たちが、
ただ単に、矛盾が全体の中でどの位置にあるのか
位置づけられていないだけなのかもしれない。

この部分、もう少し整理してみようと思います。


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   <title>ウサギとカメ・外伝</title>
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   <published>2009-06-30T02:37:15Z</published>
   <updated>2009-06-30T03:19:59Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 ウサギとカメが競争するという話を聞いて、 森の仲間達はみんなこ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="三浦技研" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

ウサギとカメが競争するという話を聞いて、
森の仲間達はみんなこう笑いました。

「カメがウサギに勝てるわけないだろ」

・・・

これ、常識ですね。
森の仲間達がそう笑ったのは当たり前の話です。

しかし、ウサギとカメの物語では
どちらが勝ったかご存知ですね。

カメが勝ちました。

なぜ、カメが勝ったのか
その理由には諸説あり、奥深い話なのですが、

ここでは、
「カメがウサギに勝てるわけないだろ」
この常識に囚われると、そこにミスが生じる
という部分を採り上げましょう。

・・・

実は先日、三浦技研のクラブをつくりたいんだけど・・・
という相談を受けたのです。

その方は、でも、周りの仲間に、

「お前が三浦技研が使いこなせるはずがないだろう」

と言われて躊躇しておりました。
周りはそういうけどやっぱり三浦技研を使いたい。
相談して来られた人はスコアでいえば、
１００を切れるか切れないか、のレベルです。

三浦技研のゴルフクラブは、
マッスルバックを中心とした製品ラインナップと
上級者が好む顔付きで、一般の人が使うには難しい
と言われている最高級のゴルフクラブです。

だから、周りの人がそう笑ったのは常識、
なんでしょうね。

・・・

さて、ウサギとカメの話に戻りましょう。

常識では、カメがウサギに勝てるわけではありません。
でも、カメはウサギに勝ちました。


それにしても、常識って、一体何なんでしょうね。
もしかするとあなたの考えている常識って、
単なる思い込みや囚われではないでしょうか。

大切な事は、
カメは、ウサギに勝てるはずはないと、
最初から決めつけあきらめていなかったので、
スタートラインに立った。

ということ。

常識で考えるなら、カメは、
最初からスタートラインに立つ事はなかったでしょう。

スタートラインに立たなければ
レースは始まりません。

・・・

目指すべきゴールがあるならば、
常識だと思い込んでいることを疑ってみることも
一つの方法ではないでしょうか。


三浦技研の研磨フィッテイング
２００９年は
８／２２(土)１０：００～１７：００
８／２３(日)１０：００～１５：００
越谷ゴルフリンクスにて行います。

オーダーご希望の方は予約をお急ぎください。


２００７年、２００８年の相談実績なども、詳しくは
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をご覧ください。

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   <title>ゴルフの泣き所</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://golf.fool.jp/2009/05/post_410.html" />
   <id>tag:golf.fool.jp,2009://1.421</id>
   
   <published>2009-05-20T12:34:06Z</published>
   <updated>2009-05-20T12:39:51Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 ゴルフをやったことがない人のイメージとして、 ゴルフといえば、...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="アマチュア万歳！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

ゴルフをやったことがない人のイメージとして、
ゴルフといえば、経済的に余裕がある紳士淑女の、
少し敷居の高いスポーツ、レジャーとしての認識が
あるようです。

日本におけるゴルフ人口、やったことがある人は
約１０％とされておりそれほど多くはありません。
しかし、やってみたいスポーツは？とアンケートをとると、
およそ２０％前後あって他のスポーツに比して上位に
ランクされることが多いようです。

ゴルフは上品でブルジョア的でお洒落なスポーツとして、
イメージとしてやってみたいスポーツの上位にいるとすると、
お洒落という意味ではドレス・コードは重要な問題になります。

ドレス・コードの時代による変化などはありますが、
ゴルフ草生期はゴルフはネクタイをしてプレーするものでした。
現在では一部見かけられていますが、
つい最近までは襟のないシャツでのプレーや
短いソックスや、アンダーシャツが見えてのプレーなど
もってのほか、考えられませんでした。

仮定の話として、
そしてこの様子では、この先Gパンや、迷彩ズボンや、
シャツをズボンに入れないでプレーなども、
もしかすると、どうかなるかもしれません。

それはそれで良いとか悪いとか、どちらかわかりません。
もしかするとドレス・コードが落ちるところまで落ちて、
実は、ゴルフとは着ているものではなくてハートが問題なのだ
とマナー面で良い方向への一大変革が起きないとも限りませんしね。

まあ、それはまずありえないと思いますけど・・・。

・・・

とにかく、ゴルフのステイタス性に魅力を感じている人は多い、
ということはまず間違いなく言えると思います。

そしてゴルフのイメージは、ドレス・コードにも大きく関わってくる
ということも否定できないのだろうけど、

これからもゴルフがゴルフとしての権威、憧れを保ちつつ
それでいてゴルフがスポーツとしてさらに発展し、
ゴルフを楽しめる人が増えるためには、

「ドレス・コードは落としても、ゴルフのステイタスは落とすな」

という表現は方向としてあると思います。

そこで問題となるのは、
では、ドレス・コードとはなんぞや、ステイタスとはなんぞや
という定義の再確認。

その認識の甘さが現在のドレス・コードの乱れの問題と
それでいてゴルフの発展、プレー人口の増加はさせたい、
あるいはそれでいてゴルフのイメージは落としたくない
という一見正反対に思えることの両立のジレンマにつながり、
つまり、ゴルフの泣き所になっているというわけです。

・・・ではまず第一に、ドレス・コードって一体何なんでしょうね。

このブログ筆者の見解では、
ドレス・コードとはプライド、だと考えています。

だから、襟の付いたシャツで、
プレスされたズボンを穿いて、
プレーしたいと思うのではないか。

そしてあえて付け加えておくと、筆者は、
厳密に、プライドとステイタスとは全く別物、
と定義できるものと思っています。

なので、

「プライドは捨ててもステイタスを落とすな」

とも考えるわけで、その意味を理解していただくには
ドレスコードの他に、次に、では、ステイタスってなんだ？
という疑問にある程度決着をつけておく必要がありそうですね。

・・・

このゴルフの泣き所、もう少し考察が必要なようです。
おそらくこの問題は、アマチュアゴルファーにおける、
ゴルフをすることへの喜びの本質にも迫っていく問題
だと思います。


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   <title>ゴルフクラブに心無し。</title>
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   <published>2009-04-20T10:15:14Z</published>
   <updated>2009-04-20T10:18:15Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 ミスショットをクラブのせいにしている人をみて 感じたのですが・...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="アマチュア万歳！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

ミスショットをクラブのせいにしている人をみて
感じたのですが・・・

（というか、ミスショットしたの筆者です。）

極論すれば、
良く切れる包丁は、料理するのに非常に役に立つ。
しかし、使い方を誤れば犯罪になってしまう。
ということ。

・・・

これはゴルフクラブにも当てはまることで、
なにも良く飛ぶドライバーに限ったことではありません。
フェアウェイウッドしかり、ユーティリティしかり、
アイアンセットしかり、ウエッジしかり、
そして、パターもしかり、です。

道具にはもともと心はありません。しかし、
それぞれの道具には目的や用途に合わせて
それぞれの機能を持たされています。

したがって、使い方を誤ればミスにつながる、
それは当然の事、ということです。

なぜ、そのゴルフクラブは、
そような形状、構造になっているのか
知っておかなければいけない、ということ。

なぜ、そのドライバーはヘッドが後ろに長いのか、
なぜ、そのシャフトはそういう挙動をするのか、
なぜ、そのアイアンはそんなカタチなのか、
なぜ、グースがついているのか、
なぜ、サンドウェッジにはバンスがついているのか、
なぜ、そのパターは線が引いてあるのか、

・・・

なぜ、ボールにあらかじめ印が印刷されているのか、
なぜ、その機能性アンダーウェアはその素材なのか、
なぜ、ゴルフシューズの靴底はスパイクなのか、

・・・後になって、

今までそんな事考えたこともなかった・・・。

言われてみればそのとおりだ・・・。

道具のせいではありません。
その道具を選んだ自分、
あるいはその道具の使い方を知らなくて
間違えた使い方をした自分が悪いのです。

道具があなたにミスをさせようと、
なにか意図を持ってイタズラをする、
ということはありませんからね。

道具は忠実です。
良い結果も、悪い結果も、
あなたがそれを操っての結果ですね。

納得のいく結果を出すためには、やはり、
道具の事もよく知っておく必要があるようです。

・・・

ゴルフクラブに心なし。
使い方を誤ればミスにつながる。

このことを是非、覚えておきたいですね。


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   <title>ゴルフが下手な人の特徴</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://golf.fool.jp/2009/03/post_408.html" />
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   <published>2009-03-06T10:59:57Z</published>
   <updated>2009-03-06T11:19:57Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 前回、「下手になれ」と題して、 下手にもなれないで、一生初心者...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="アマチュア万歳！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

前回、「下手になれ」と題して、
下手にもなれないで、一生初心者のまま終わってしまう
アマチュアゴルファーについて採り上げてみました。

まあ、運よく他人に下手と言われる
ぐらいの腕前になったとしましょう。

そんな、ゴルフが下手な人の特徴を、
今回はいくつか述べてみますね。

まず
１．ペースがどんどん速くなっていく人
スイングのリズムは非常に大切です。
テンポよくプレーが進めばいいのですが、
ミスにミスを重ねるような下手なゴルファーは
まず、全てのペースがどんどん速くなっています。

前の組に待たされた場合なども、
気持ちだけはすでに先走っていて、
スイングリズムが速くなりやすいものです。

逆に、後ろの組を待たせている場合も、
急がなきゃ、という気持ちが過剰に働きすぎると
リズムが速くなり、崩れてしまいます。

当然、マナー上からも、ペースを上げることを
求められるケースが多々あります。

しかし、プレー上大切な部分では
通常のテンポに引き戻す必要があり、
その分、それ以外のところでペースを速くして
帳尻を合わせなければなりません。

下手な人はそのあたりのメリハリが下手です。

２．練習をしてこない
これは、少しボールが打てるようになってきた人が
犯しやすい大罪なのですが、

練習不足や準備不足というものは、
同伴者にはすぐわかります。

ただ、面と向かって、もっと準備して来いよと
指摘できるだけのアマチュアはそんなにいないことや
ゴルフ以外での人間関係もあり、
なかなか他人は注意してくれません。

「練習してこなかった」

この言葉をゴルフ場でよく聞きますが、
練習してきたけど上手くないので
迷惑をかけるかもしれませんのでお許し下さい
というニュアンスならまだわかる。

しかし、
急に誘われて、本当に練習してこなかったので
迷惑かけるから覚悟してね
こういう人も中にはいます。
そんな言い訳がましい事を言う人は
だんだんゴルフのお誘いがかからなくなります。

まあ、
練習にもレベルがいろいろあるので一概に言えませんが、
練習の意味を十分自覚し、努力を重ねてきた人たちが集まり
ラウンドすると、ゴルフが数段高いレベルで行われます。

３．人に合わせない。
確かにゴルフは個人競技ではあるが、上手い人は
他人のショットやスコアも覚えています。
一方、下手な人は自分のスコアすら数えられません。
そんなところからも、下手な人は周りが見えず、
人に合わせることができず、
あちらこちらに迷惑をかけ続けています。

４．バランス感覚の欠如
ピアノでも、弾くのに強いとか弱いとか、
曲想にあわせて弾き方を変えます。
ゴルフでも、打ち方の問題ではなく、
単純に強弱のバランスがとれない人は下手です。
パットなど特に顕著に現れますね。
また、下手な人はフルスイングしか練習しません。

５．ミスの反省をしない。
そもそもミスが少ないプロですら、
その少ないミスから多くの反省をし、
そのミスから学んだ事を次に生かそうとします。

アマチュアはミスが多いのは当たり前なのですが、
中でも下手な人、というのはミスの反省をしません。
だから、いつまでも下手なのです。

ミスの反省ができるようになると上手くなります。

６．全体より部分が大好き
ゴルフは１ショット１ショットの積み重ねであり、
１ホール１ホールの合計ではあります。

しかし、決してゴルフは機械の部品のように
単純に組み立てられたものではなく、
部品部品は確かに大切なものではあるが、
それよりも、全体としてコースをどうラウンドするか、
そちらのほうが重要です。

一スイングにこだわりすぎると、
打つ方向を間違えたり、そもそも距離を間違えたり、
仮に部分的に上手くいったとしても、
全体が上手くいくとは限りません。

７．総評論家
実力のない、腕前が下手な評論家タイプの人、
彼らがゴルフを語ると、極めて無責任で冷酷です。
評論自体は下手な人にも許されていますが、

そんな人は時に教え魔になるなど、
自分より技術の劣る人をつかまえて
教えて人を上手くさせることよりも、
自分が優越感にひたりたいだけのことがたいていで、
そんな下手な人に教わっても下手なままです。

どうぞ、ゴルフは上手い人から教わってください。



・・・

下手な人の特徴がよくわかりましたでしょうか。。。


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   <title>下手になれ</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://golf.fool.jp/2009/02/post_407.html" />
   <id>tag:golf.fool.jp,2009://1.418</id>
   
   <published>2009-02-27T09:22:01Z</published>
   <updated>2009-02-27T09:28:40Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 さて、アマチュアとは、 かなり年月のたった初心者である、 とは...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="アマチュア万歳！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

さて、アマチュアとは、
かなり年月のたった初心者である、
とはよく言ったもので、

ゴルフの上手いとか下手というものは、
全然ゴルフをしたことがない人間であっても
スコアとか球筋を見ればある程度わかるもの。

そんな意味からも、
アマチュアとはそもそもいくら年月をかけても
初心者から脱することができないもの、
なのかもしれません。

考えてみると、
何千球のボールを打ち、欠点を克服したとしても、
しばらくクラブを握らないでいるとまた元に戻っていたり、
なかなか実力として定着していかず、
結果としてスコアに結びつかないことも多いようです。

自分の納得のいくゴルフをプレーしようと思えば、
人生８０年と言われ、また仮に生涯スポーツの代表のように、
ゴルフが言われていたとしても、そこに至るまで、
計算すると数百年のもの期間が必要となってしまいがちです。

とても、そんなに初心者のままでいるわけにもいきません。

では、どうすれば、初心者から脱することができるのか。

・・・

それにはまず、初心者には二種類あることを
再確認しておく必要があるかもしれません。

まず、ゴルフを始めたばかりで、
これからの進歩が期待できる発展途上の人、

この人達は、初心者であっても本当に下手な人ではない。
あるいは無限の可能性を持った下手な人、
といえるかもしれません。

もう一つの初心者とは、

経歴だけは長いタダの人で、何百万人もいます。
そして彼らはうかうかすると、下手にもなれないで
終わってしまう恐れがあります。

下手にもなれないで終わってしまう人たちの最大の特徴とは、
自分のゴルフに疑問を抱かず、上手くなるための努力のあり方
や練習の方法に目を向けず、ただ仕方なくゴルフをしている人。

趣味がゴルフと言っておけばカッコいいからとか、
そういった理由で、いわば受身で、
自分の内面からの意欲からゴルフをしているわけではない人。

ゴルフをはじめたキッカケがそういった理由の人は、
もしゴルフが上手くなりたいと思うなら、
時々そのあたりを自問してみる必要があるかもしれません。

でなければ、いつの間にか、
ゴルフクラブが錆びたりカビたりして
使い物にならなくなってしまい、

腕前のほうも、下手にもなれないで、
ゴルフをしたことがあるというレベルで
本当に終わってしまうかもしれません。

・・・


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<entry>
   <title>アマチュア万歳！</title>
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   <id>tag:golf.fool.jp,2009://1.417</id>
   
   <published>2009-02-23T09:15:33Z</published>
   <updated>2009-02-23T09:16:40Z</updated>
   
   <summary>越谷ゴルフです。 業界としてのゴルフは、 アマチュアゴルファーがいなければ成立し...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="アマチュア万歳！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://golf.fool.jp/">
      <![CDATA[越谷ゴルフです。

業界としてのゴルフは、
アマチュアゴルファーがいなければ成立しません。

なぜなら、みんながプロゴルファーだったら、
ゴルフでお金をもらう人ばかりで
ゴルフでお金を払う人がいなくなるからです。

（笑）

って、そんな話は置いといて、

そんな、アマチュアがゴルフを支えているにも関わらず
ゴルフをめぐって語られているものの多くは、
「それは一般的なアマチュアには無理では？」
といった内容のものが大半を占めています。

上手くならないことを言い訳するつもりはありませんが、
もう少し、アマチュアゴルファーの上達論について、
肩の力が抜けたものがあってもいいのではないか、

そう思って、このテーマをとりあげようと思います。

当然、プロを目指す人は、
最初から、プロになるべくカリキュラムをこなし、
トレーニングを積む必要があると思います。

しかし、
３０歳になってはじめてゴルフを始めるような人にとって、
プロを目指す人と同じカリキュラムが必要ではありません。

しかし、上達したいなら、
同じ「ような」カリキュラムは必要にはなります。

それにしても、ゴルフは楽しむもので、
体系的に習ったことがなく自己流を貫いている、

そんな一般的なアマチュアが、
少しでもゴルフを楽しみ、長く続けられるために、
そして少しでも上達するように、

ゴルフへの接し方、レッスンの取り入れ方、
などについて、しばらくとりあげていこうと思います。


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<entry>
   <title>「振動数理論」から「振動の法則」へ</title>
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   <published>2009-01-30T11:05:49Z</published>
   <updated>2009-01-30T11:10:26Z</updated>
   
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      <![CDATA[越谷ゴルフです。

物理学は物質的なものを扱います。
その中で、ひも理論を紹介しました。

ひも理論では、
物質の基本的力は振動にあり、それが、
物質やエネルギーに違いをつくりだしている、
というものでした。

そして、ナイスショットを生み出すためには、
その振動を同調させる必要が、
つまり、タイミングが非常に大切であることを、
シャフトの振動数理論をとりあげて説明しました。

で、

今回は、感情、とか、マインド、思考といった、
極めて物質的ではないものを、
敢えて物理学で説明し、まとめに入ろうと思います。

というか、

以前に、脳波とは、
ホルモンといった物質によってもたらされる、
脳の中で起こっている化学反応である、
といった表現を使ったことがありますが
覚えておられるでしょうか？

脳波であれば、現在の医療技術であれば、
その電気信号を測定して調べることができます。

振動の速さ、つまり周波数やその大きさ、かたち、
そして雑音部分（雑念？）が多いとか少ないとか、
調べることができます。

しかし、もし、振動数が速すぎて、あるいは遅すぎて、
現在の科学技術をもってしても測定できないような振動も、
この世の中には存在することでしょう。

だからもし、マインドや思考といったものが、
現在測定不能の振動を発しているとするならば・・・

それは現在の測定機器では測定されないかもしれない、
しかし、人間同士、あるいはイルカ同士ではそれを感じることが
できたとしたら・・・
言い換えると、同調や共振することがあるとすれば・・・

振動の法則として、
物理学の範疇を超え、ミステリアスな世界も、
説明できることになります。

・・・

願えば叶う、という引き寄せの法則がありますが、
これも振動の法則と言い換えることができるのでしょう。

測定不能である思考やマインドといった心の振動が、
それらは振動しているのでエネルギーを持っているのですが
その周波数が同調することにより様々なものを引き寄せる。

引力として、物質的なものを引き寄せることもあるでしょう。
魅力として、人間を引き寄せることもあるでしょう。

物質的なものを引き寄せるのであれば、
もしかしたら物理学で説明できるかもしれません。
しかし、精神的なものまで引き寄せた場合、
これを科学、物理学と言っていいものかどうかわかりませんが、

少なくとも、「振動の法則」は、まだ証明されてはいませんし、
これからも証明されることもないと思いますが、
「ゴルフ究極のM理論として帰納的に法則性あり」
と、明言してもいいのではないかと思います。


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