越谷ゴルフです。
前回の最後に、
「ゴルフとは、
一つ一つの固定不変な部品や要素の組み合わせではなく、
全体の調和で成り立ち、全体として生成・発展していく有機体
として考えてこそ、正しく把握できるもの。
そして、有機体というものは、部分品に分解不可能な
側面がありますから、矛盾を内包しているのが当たり前である。」
という結論を出しました。
でもそれって、なんとなく既にわかっている事ですよね。
逆に、それで納得してもらうような頭でっかちでは困ります。
だからどうすればいいのか。
これが今回のテーマです。
・・・
論理学の歴史においても、近代から現代になると、
機械論的で形而上的な思考法の不十分さが言われる
ようになりました。
(形而上とは、脳の中でのみ起こっているカタチのないもの
形而下とは、体のうち脳から下の部分で見聞きするなど感じたり、
実際の行動や、現実に起きている物事)
特に、ダーウインの進化論や、エネルギー転化の法則など、
それまでの思考法では矛盾だらけで説明できない事柄が
現実(形而下)のものとして存在が認められるようになってきて、
思考法を転換していく必要がでてきています。
矛盾を乗り越える思考法は、
なにもゴルフだけで求められているわけではない、
ということですね。(笑)
・・・
その思考法では、
論理的思考法に基づくと、論理に矛盾はありえない、
矛盾があるということは論理的ではない、という前提から、
あえて、当たり前の事を矛盾を抱えているという表現する
ことも、できるわけです。例えば、
「ボールは高いところから低いところに転がっていく」
のはニュートンの万有引力の法則にしたがっているから。
これは当たり前の事なのですが、
なぜ転がるか、という理由を、
「ボールが矛盾を内包しているから」と、考えてみます。
斜面という不安定な位置にあるボールは、
高い位置エネルギーを持ちながら
それを支えるには不安定な場所に存在するという矛盾、
この矛盾を内包しているので、その解消のために、
位置エネルギーを運動エネルギーに変換して
結果として転がっていく。
というようになるのですが、いかがでしょうか?
・・・
論理するという世界において、
矛盾をいかに回避して安住の地を求めるのではなく
逆に危険なほどに矛盾を求めていくという雰囲気さえある、
この思考法(笑)
・・・生きているという実感を求めるために、
あえて危険な戦場に身を投じる外国人特殊部隊。
彼らはなにも高いお金で雇われるから
危険な場所にいやいや行くのではありませんね。
(わざわざお金払ってまで怖い思いをしたいという矛盾で、
ジェットコースターという例のほうが良かったですか?)
この矛盾だらけの論理は、日常ではなく非日常の世界では
当たり前なのですが、これらの矛盾を乗り越える思考法、
その論理手法の例だけで長くなってしまったので、
次回また続けます。
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