越谷ゴルフです。
神様って、もしいるとしたら、絶対的な存在ですよね。
相対的な存在ではないですよね。
相対的な存在というのは、相手が必ずいます。
つまり、自分も相手を認識することができ、
逆に相手も自分を認識することができます。
それに対して、絶対的な存在っていうのは、
この双方向の認識がないので、
お互いが理解しあうとかそういうものではありません。
・・・
もし、
ボールがゴルファーの気持を認識し、理解してくれるなら、
(とうとう筆者も気が狂ったかもしれません。苦笑)
ボールは相対的な存在なので、こちらの言い分も、
たまには聞いてくれることもあっていいかもしれません。
しかし、
ボールは、ゴルファーとの関係で言えば、絶対的な存在。
だから、
ゴルファーが、ボールの状況に合わせるしかありません。
ゴルファーはボールを認識するけど、
ボールはゴルファーを認識しない存在というわけです。
つまり、ボールは神様か・・・。
この、ボールとゴルファーとの認識関係を理解できると、
ゴルファーは、ボールといい関係がつくれるかも。
ボールに言うことを聞いてもらおうなんて
少なくとも、考えなくなることでしょう。
ちなみに、ヘブライ語で、
「認識」のことは「SEX」と同一表現だそうです。
つまり、相互認識が必要、あるいは、相手が必要・・・
しかし、ゴルファーとボールとの関係はそれとは違う。
・・・
でも、
神様であるボールに、ゴルファーは魂を宿すことはできる。
昔、BMWの広告に、
デイテールに魂が宿っている、というのがありました。
つまり、BMWには作り手の思いが細部にまで
こめられているという意味なのですが、
作り手が、クルマに魂を宿し、
乗り手が、クルマから魂を受け取る、ことは可能です。
まあこれは、作り手と乗り手という人間の
相対的な関係があるから可能なことですが、
同様に、ボールにいかに、魂を宿すか、
つまり、どうやって、ボールに意味をもたせるか、
ですが、
これは、ボールに宿した魂が結果になるのですが、
ボールを打つ前の自分と、
ボールを打った後の自分という相対関係、
同じ自分なのですが、時間の経過による、
別の存在としての相互認識で成立しています。
つまり、自分と自分との相互認識。
ボールを打つ前の自分から、ボールを打った後の自分へ
どのようなメッセージを残すか。
あるいは逆に、打った後のボールから
どんなメッセージを受け取るか。
結局、
このボールとゴルファーとの関係を間違えると、
思い通りにいかないと、イライラするのかもしれません。
・・・
神様や魂の存在は、
よくわからないけど、信じます。
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